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Column · 美術の楽しみ方

きちんと座っていない姿が、気になる。カサット《青い肘掛け椅子の少女》と日常を見る楽しさ

メアリー・カサット《青い肘掛け椅子の少女》1878年 — Little Girl in a Blue Armchair 全体・筆触を大きく見る ↗
メアリー・カサット《青い肘掛け椅子の少女》1878年Little Girl in a Blue ArmchairNational Gallery of Art, Washington/Collection of Mr. and Mrs. Paul MellonPublic Domain · CC0 · 作品・画像の出典Courtesy National Gallery of Art, Washington / Collection of Mr. and Mrs. Paul Mellon

写真を撮るとき、つい「背筋を伸ばして」「こっちを向いて」と声をかけたくなることがあります。せっかく残す一枚だから、きちんとした姿にしたい。けれど、あとから見返して心に残るのは、気を抜いた姿や、何かに夢中でこちらを見ていない表情だったりしませんか。

メアリー・カサットの《青い肘掛け椅子の少女》には、そんなことを考えたくなる子どもが描かれています。大きな椅子に体を預け、片方の手を頭の後ろへ回し、視線は画面の外へ。お行儀よくポーズを取っている、という感じではありません。

まずは、少女の姿を少し眺めてみてください。それから、左側の椅子にも目を向けてみましょう。そこにも、この部屋の空気を感じさせる小さな存在がいます。

きちんと座っていない姿が、気になる

この作品は、アメリカ出身の画家メアリー・カサットが1878年に描いた油彩画です。現在はワシントンのナショナル・ギャラリー・オブ・アートに所蔵されています。制作年と作者名を確かめたら、いったん説明から離れて、少女がどんなふうに座っているかを見てみます。

体の中心は椅子に沈み込むようで、両脚はそろっていません。頭の後ろへ回した腕と、肘掛けに沿って下がるもう一方の腕も、左右で違う形をしています。体のあちこちに、整列させられていない動きがあるのです。

その姿がくつろいで見える人もいれば、待ちくたびれているように感じる人もいるでしょう。ただ、絵だけから少女の気持ちを一つに決めることはできません。今にも姿勢を変えそうなところに、私は、この子の時間がまだ続いているような面白さを感じます。

もし背筋を伸ばし、両手を膝の上に置いていたら、同じ服、同じ椅子でも、受ける印象は変わるはずです。顔の表情だけでなく、腕や脚の置き方も、その人らしさを感じる手がかりになっています。

椅子が大きいと、子どもはどう見える?

次は、少女を囲む家具の大きさに注目してみます。画面には青い布張りの椅子がいくつもあり、手前の二つは、丸い背や厚い座面が大きく広がっています。少女の体は、その青いかたまりの一部に包まれているようです。

少女だけを切り離して見るときと、椅子ごと眺めるときでは、体の小ささの感じ方が違いませんか。人物の大きさは、その人の輪郭だけで決まるのではなく、周りにあるものとの関係でも伝わってきます。

さらに、少女の座る椅子から奥へ目を動かすと、人のいない座面や床が見えてきます。描かれていない場所ではなく、椅子はあるけれど誰も座っていない場所。その空き方によって、部屋の中にいる少女の位置が、少し意識されるように思います。

大人にちょうどよさそうな家具の中に、子どもが一人でいる。そうした大きさの違いを見ていると、部屋そのものが、少女の姿を引き立てる役割を持っていることに気づきます。

隣の椅子には、もう一人の主役

画面の左側、手前の椅子の上を見てみてください。茶色と黒の毛をした小さな犬が、体を丸めています。最初は少女に目が向いていた人も、犬を見つけると、今度は二つの椅子を行き来したくなるかもしれません。

少女も犬も、椅子の上で体を低くしています。けれど、横に広がる少女の姿と、小さくまとまる犬の姿は、同じではありません。二つの体の形を比べると、それぞれが自分に合った場所の使い方をしているようにも見えます。

ここで面白いのは、二者が見つめ合っているわけではないことです。犬がいるからといって、少女と遊んでいる場面になるわけでもありません。それぞれが別のことをしているのに、同じ部屋にいる。その距離感が、私には身近な暮らしの一場面のように感じられます。

絵を見るときは、いつも主役だけを見続けなくてもよいのだと思います。脇にいる小さな存在に目を向けると、作品全体の印象が変わることがあります。この犬も、少女の姿をもう一度見たくなる入口になっています。

作品全体を拡大して、少女と犬の姿を見比べる ↗

青い模様の中で、白い服が見えてくる

少し画面から離れて見ると、青い家具の間に、少女の白い服が浮かび上がってきます。画面の中でどこに目が向いたのかを考えるとき、人物だからという理由だけでなく、周囲との色の違いも手がかりになります。

椅子の布をよく見ると、青一色ではありません。緑や赤みのある色、明るい色の小さな筆跡が入り交じり、模様を作っています。遠くからは青い椅子としてまとまり、近くでは細かな色の動きが見える。その行き来も、この絵を眺める楽しみです。

少女の白い服にも、暗い部分や淡い色の部分があります。白い服だとわかったところで見終えるのではなく、「この白は、隣の青と並ぶとどう見えるだろう」と目を動かしてみる。名前を知っている色の中にも、まだ見ていない違いがありそうです。

以前紹介したモネの《ルーアン大聖堂》では、同じ建物の色を見比べました。この室内画でも、色はものを見分けるためだけでなく、視線の向きや、画面から受ける印象に関わっています。

何もしていない時間も、絵になる

この作品には、大きな事件や、はっきりした物語の結末が描かれているわけではありません。少女が座り、犬もそばにいる。それでも、姿勢や色、二者の距離を見ていると、目を留めたくなることがいくつもあります。

誰かの姿を残そうとするとき、私たちは笑顔や特別な出来事を選びがちです。けれど、座り方の癖や、何もしていないときの手の置き方にも、その人について感じられるものがあるのかもしれません。

カサットがこの絵に込めた意味を、すべて読み切ろうとしなくてもよいと思います。「どうしてこの姿が気になるのだろう」と、自分の目が止まった理由を一つずつ確かめる。それだけでも、絵を見る時間は少し豊かになります。

きちんと整った姿だけが、その人らしい姿とは限らない。何気ない姿勢や、誰かと同じ場所で過ごす時間にも、絵として見つめたくなる面白さがあるのだと思います。

もう一度、少女と犬のいる部屋に目を戻してみてください。最初に見たときと比べて、気になる場所は変わったでしょうか。その小さな変化も、作品を鑑賞した記録になりそうです。